自分の作った物を手元に置いておきたいと思う事ってそうそうない。
それはきっと、こうやって頭の中で楽しんだり、切ったり縫ったりしているこの行為自体でもうとっくに大満足できるからだろうなー。
ぼんやりと、時にははっきりと浮かんでる絵は頭の中を通り抜けて我が手で具現化されていく。表現力、集中力のなさにせっかくの絵が台無しになってしまう事もあって、そんな時は大巨匠のように”こんなもんじゃない!””ってキャンバスを引き裂いたり、用紙をくちゃくちゃと丸め、既に紙でいっぱいのゴミ箱に投げ入れたり、今まさにステージにでようとしているモデルのドレスの裾にじゃっとはさみを入れてみたり。。さすがに小心者の私はそんなことできないけれど、途中で放り投げて作り直すことがある。何枚ものラフスケッチがあたりに散らばってもまだうまく描けない時もある。
絵の部分が完成して本体の仕様の部分を縫っているときにどうしてもある部分の色が気に入らなくって、一旦ほどいて差し替えることもある。
感覚って全ての表現者へのプレゼントだと思う。
いーなー。そんな感覚でお仕事できてって、思う人もいるかも知れない。でも、あなただって感じている、いつまでも捨てれないバスタオルの肌触り。。いつもどこででも探し続けるプレーンな真っ赤なセーター。ある日ふと耳にはいったフレーズにどうしようもなく引き込まれていく瞬間。もしくはすれ違った女性?男性の香りに振り向いてしまう。そして圧倒的な吸引力で始まる恋。
ほらね、感覚は全ての人への贈り物。
だから大事に大事にしていきたい。
私は、たまたま物を作っていてそのことにどこまでも精進していきたいと思っていて、いかんせんそれは感覚の中から取り出す作業でもあるから少し苦労する時もある。
でも、悲しいというべきかありがたいというべきか、その感覚に対する集中力や忠誠心が少し低い。少なくとも身をこがすほどではない。
だからこそ感覚や宇宙の法則に支配されてどっか行ってしまった人が大好きだ。不器用でまっすぐで自らの身をすり減らしながらも表現し続けようと苦悩する人達。
そしてその人達から発するものは宇宙からのプレゼント。
たまには大好きなハッピーエンドも