今月は頭をよく動かした。それもあまり使わない部分、ネジが錆びて上手くまわらない部分。もしくはその引き出し今まで使わなかったんじゃない?って部分。
そんな場所を動かすとわからない所は誰かに質問してばかり、できない所は人にお願いしてばかり。。の日々が続く。そしてその事に軽く落ち込んだり恥ずかしさをうっすら肌に纏いながら何日か過ごす事になった。
おまけに困った事にそれに伴う不安もやってきて胸が胃が痛い痛い。自らの選択に 本当にそれで良かったのだろうか?本当に上手く行くのだろうか?と過剰な期待と心配を繰り返す。
せめてもの救いは感情の揺りかごに家族を誘わずに済めたこと。もっともいつもよりソワソワしたり、突如 あー。。と溜息をついたり、饒舌になったりの繰り返しを内心(始まった始まった)と遠巻きに眺めているだけかも知れない。
つい先日も電車の中で不安が回りだして胸がドキドキしだした。
落ち着け、落ち着けと念じながらふと前を歩くおばあさんのスーパーの袋に入って一輪の百合が目に入ってきた。
おばあさんのゆっくりした歩みに合わせその百合もゆっくり揺れる。
今から会う誰かへのお土産だろうか?
それとも会ったばかりの誰かに貰ったのだろうか?
大輪の百合の花と目が合い、思わずひと枝買ったのだろうか?
いずれにせよ袋の中で揺れる百合の花は、おばあさんと全く関係のない私の心の中まで来てくれて 大丈夫、大丈夫。と慰め励ましてくれた様な気がした。
まあ、なるようになるさ。
花よ、ありがとう。
ああそれにしても、ウチの猫の様にジャンプに失敗してもその次の瞬間にはまるで何事もなかったように優雅に身体を舐めるように生きたいものだ。