2013/07/11

希望の種

今年の春はよく種をまいた。バジル、朝顔、キンセンカ、パクチーに紫蘇。向日葵にヒョウタンの種などなど。。
そして種が無事に発芽するのはすごく小さな確率なんだという事を実感した。
あらかじめ発芽を促した種を一定の間隔で開けた小さな穴に一粒二粒と押し込み、大きくなれよと声かけながらそっと土をかける。
待てど暮らせどなかなか双葉が顔を出さなくって、やっと出たなと喜んだのもつかの間夜のうちに誰かさんが茎まで齧っていたり、ナメクジが次々に銀色の筋をつけていったり、少し成長したかと思ったらキュッと枯れてしまったり。

そんなこんなで今年の我が家の種は監督が悪かったのか二割打者で無事に育ったのはほんの少しだった。パクチーに至ってはほぼ全滅。ひょうたんは残念ながら発芽率0.

少ないながらも順調に育ち出した草花達がグングンと背を伸ばしある日その子たちそれぞれの美しい花を次々と咲かせてそして実り再び種をつける。
毎年毎年繰り広げられる自然の営みの中にすごく不思議な思いを持つことがある。

例えば川縁に鎮座する栴檀の大木。毎年5月下旬に花咲かせるその木は遠目から見ると花々で姿がボヤけてまるで蜃気楼を見てるかのような美しさだ。そして秋には黄金色の実を体いっぱいに実らせる。そのほとんどが渡り鳥達の食事となっているのは言わずもがなだが、それにしてもあんなにつける種が下に落ち又栴檀の芽を出すことはないんだろうか??
多分それはあるんだろうと思うけど確立としては非常に非常に少ない。
そしてそのことは勿論全ての草木に通じることで、全部が全部が発芽したらこの世は本当に緑の世界になるだろう。そしてその草木達が育ち花を咲かせ再び実をつける。そして再び芽生えて。。。考えだすと楽しいけれど何故かどんどん息苦しさをも感じてしまう。


そんな妄想のなかで私自身も植物になってみる。そして自らの種をまく。
楽しさの種、喜びの種、愛情の種、アイデアの種、日々感じる思う考えることが全ての種なんだとしたら私は膨大な量の種を所構わずまいているだろう。それが運良く芽生えても気づかず、自ら踏みつけてしまったり誰かに摘まれたり、暑さ、寒さに負けてしまったり。。そんななかでも数個の強い種がグングンと育ってくれてやっと花を咲かせてくれる。しかし咲かせた花を愛でてくれる人もいず蜂や蝶によって受粉されることもないかもしれない。
でも私がまいた種は今、花だ。花の時を精一杯楽しんで自家受粉さえなんのその。そして又再び実った種がこぼれ落ち、万が一、億が一の確立で再び新しい芽を出す。


楽しさの種、喜びの種、愛情の種、アイデアの種、そして希望の種を。




写真はご近所さんの庭で花開く大芙蓉。種から育てたんだよ。と嬉しそうに教えてくれました。話ついでに今年出来る筈の種を頂けることに。うれしー!