産まれも育ちも梅田近くの下町で次々と建設されていく北周辺の建物を見て過ごした。
なので、風の音よりも町工場から聞こえてくるミシンの音だったり、圧倒的な自然よりいつの間にか消えていく原っぱだったり。。そんなこんなをより思い出す。
昭和元年に建てられた我が家には一番奥に小さな庭があり、こまめに手入れされてるわけではないんだけど色んな草木が植えられていた。
ばらん、紫ツユクサ、紫陽花、梅の木、びわの木、夏になると朝顔、ヘチマ。。。
その庭で私たち姉妹は小さな地面をほじくり返して宝探しをしたり、夏にはビニールプールを出してきて朝夕行水をしたり。母も忙しい生活の中で梅酒をつけたり、へちまたわしを作ったり。。なんかしてたように思う。小さな縁側で洗濯物をたたむ母、切り取られた空の色が不思議にピンクだった事、高校時代に憧れてた先輩に庭の紫陽花を切って渡そうとしたこと(残念ながら渡す頃には萎れてしまい,そのことが恥ずかしく捨ててしまった)
そしてちょうど今日の様な梅雨の朝、窓越しに見える庭は瑞々しい緑の世界だったことがぼんやりとだが蘇り私の脳裏に一枚の写真のように見せてくれる。
そんな庭に古い木肌をしたぶどうの木があった。歳をとったように見える割にはどっしりともしてなく他の樹々に場所を奪われこっそりと蔦走らせる。そんな感じのぶどうの木。
ある年。そのブドウの木が庭の壁面にグングンと蔦を延ばし、そして初めての花を咲かして実をつけた。花より団子、私は只ぶどうの実がドンドン大きくなり山ほどのぶどうを食べれる事だけを楽しみにしていたんだけど。
手のひらに乗せた一房は子どもの握りこぶしく位の大きさで実の一つ一つは足の小指の大きさ位。黄緑色の皮はまだ弾力を持たず固く、、残念ながらそこで思い出が切れているということはきっと完全に育たず食べられなかったんだろう。
次の年、その木は枝葉を広げなかった。
その次も、そのまた次の年も。。
今なら色んな術を持って原因を探ったり土壌を改良したり肥料を与えたりするだろう。
でもその時にはそんな意識も持たず、ただ育ち、花咲き、小さいながらも実らせてそして枯れていったぶどうの木を見ていることしかしなかった。
そしてそんなぶどうの木を思い出す時にはいつも同時に
最後の一花 と言葉がもれる。
写真は今朝の名残り花。散ってなお美しい。